北原と認知症予防しようねット -1-

こんなに居心地の良い場所があっただろうか。

その居心地の良い場所が無くなるのを知ったのは確か数か月前の事。

「私たちは次の情報紙の発行で会を止めることにしました」と電話をいただいたその時から徐々に記憶でよみがえってきたこの会との出会いと関わってきた想い出を書いてみようと思う。

個人事業を開業したのが2011年、その前のサラリーマン時代に入会した世田谷区の認知症予防活動グループ「認知症予防しようねット」

確かあれは2009年だった。世田谷区内の市民活動グループへの助成金プレゼン会にプレゼンに行ったとき。

隣に座っていた人生の大先輩の女性が「今日私たちのグループは3人来る予定だったのが私1人になっちゃったの、私のプレゼン発表の時この模造紙を持って下さらない?」と声をかけてきた。

えーーーーっ!こんな高齢の方までもがプレゼンに参加しているの?という驚きは後から湧いてきた感情でとっさに「もちろん良いですよ」と答えていた。

プレゼン会が終わった時の虚しさも今思い出すとよみがえってくる。ウチのプレゼンは助成金をもらえず、発表時に模造紙を持ってて上げた高齢の女性のグループは見事に助成金をゲットしていたのだ。

プレゼン会の終わりに、その女性が「私たちはこんな活動をしていて、今度○日に交流会があるんです。良かったらいらっしゃいませんか?」と誘ってくれた。

偶然にも当時、認知症薬のマーケティング企画を仕事で担当していたのもあり認知症に対する知識や情報ももらえるかもしれないし何より認知症になることを防ごうとしている人たちの生の声が聞ける環境に行けることが仕事に役立つという打算で参加してみることにした。

教えてもらった日に三軒茶屋のキャロットタワーの市民活動フロアに行くと、4、5人の人が居り70代くらいのメンバーが4人40代~50代くらいの女性が1人その中に前回プレゼン会で誘ってくれた女性ももちろん居た。

交流会は毎月開催されているらしく、その他に情報誌の発行も行っていて情報紙に関しては記事から編集、印刷から折り作業を自分たちで行い世田谷区内の様々な施設への配布もそれぞれが分担して行っていることを聞いた。

初めて参加した当時は情報紙の7号が印刷された後で、誰がどこに配るのかを話していたと思う、他にも好きな事をしゃべって良い会ということもありそれぞれが世間話や近況報告を行っていた。初めて参加した身としては聞きたい事ばかりで、この会はどうして始まったのか?みなさんはどこに住んでいるのか?普段はどのような生活をしているのか?を聞いていた。

この「認知症予防しようねット」は元々世田谷区が全国に先駆けて認知症予防の専門家やNPOと組んで行っていた認知症予防プログラムで知り合ったメンバーが作ったグループで、予防プログラムは旅行、料理、パソコンその他に分かれて活動し認知症の検査を行いどのプログラムに参加すると認知症になる確率が少ないというようなデータを集める研究でもあった。認知症予防しようねットのメンバーは異なる予防活動グループから集まったメンバーで結成されていたのでかなりみなさんやる気はあるようだ。その中でもプレゼン会で私に声をかけてくれた女性は色々と積極的な方なのが交流会でもわかった。

私は、当時仕事にもつながると考えてしばらくはこの交流会に参加してみようと考えて毎月参加するようになった。毎回参加しているとメンバーの特徴や性格が徐々にわかって来て、私に最初に声をかけた人がカリスマ性のようなものを持つのがわかってきた。確かに、プレゼン会で声をかけてくれた時も交流会に誘ってきてくれた時も感じたのはこの女性のなんというか何か高貴なオーラ。積極的なのにとても心地の良い話し方をするし、話をするスピードがとても聞きやすいというか納得しやすいというまるで天の声を聞いているようなイメージ。

後でわかったことだが実際に家柄も素晴らしい方だったのだが。

このリーダー的女性は私にも積極的に話しかけてくれ、私もどんどん認知症の事を知りたいと話していたのもあり「今度こういうのがあるので一緒に参加してみませんか?」「今度ここに行くのだけれどもご一緒しませんか」とたくさんのお誘いをいただき都合が合うときにはなるべく参加した。

ここからは私にプレゼン会で最初に声をかけてくれたリーダー的女性の事を「紗枝」さんと呼ぼう。

紗枝さんは、まず私を認知症介護施設に連れて行ってくれた。

デイサービス、グループホーム、認知症専門の老人ホームとあらゆる施設に連れていってくださりしかもその施設の館長などトップクラスの方とゆっくりと話をする時間を作ってくれた。そこで私は認知症という病気を学び時には実際に認知症の方とお話をしその方ご本人の気持ちにも触れることができた。認知症を知るために個人的にも世田谷区内の認知症家族の会にも参加して認知症の方を家族に持つ方の話も聞き、仕事では認知症専門のドクターの話を聞きどんどんどんどん認知症に関する知識が増えていく。当然当時担当していた認知症薬のマーケティングの仕事にも大いに役に立った。

最近では当たり前のように認知症という言葉が使われ、認知症への理解度も高まっているが当時はまだ認知症という言葉よりも「呆け」「痴呆」という言葉がまだまだ使われていたと思う。


初めて認知症予防しようねットに参加した時に印刷されていた情報紙ぱっちわーく7号。

ぱっちわーくという名称は裁縫の世界で色々な生地を繋ぎ合わせてひとつのものを作るように。それぞれが自分が持って来た記事を1枚の紙に貼り付けて作ることが由来している。

認知症予防しようねット情報紙ぱっちわーく7号表面
認知症予防しようねット情報紙ぱっちわーく7号裏面